ガレリア・プロバ

ガレリア・プロバ1990年4月発行「La Gazzetta vol.4」


15世紀に建てられたという屋敷に彼は住んでいた。
ベルを鳴らす。
中からこちらへ向かって近づいてくる足音が聞こえる。
突然ザッと鳥肌が立ち、私が自分でそれに驚いた瞬間、ドアが開いた。
アリアの声をバックに出てきたのは彼本人だった。
大きな体と大きな眼、少しだけ白髪の混じる頭と髭。
全く威風堂々だ。

2月9日朝7時30分、私たちプロバ一行はスペインはマドリッドのバラハス空港に集合していた。
ここから小1時間、地中海に浮かぶ島マジョルカに向かうためだ。
マジョルカには今年からプロバが始めたアーティスト、リャドが住んでいる。

まだつきあいの浅い彼と親交を深め、できればうちの意向である彼の作品の版画化についても話してみたいというのが今回の目的だ。

ホテルを出た時まだ外は真暗闇だった。
幸い天気はいい。
昨晩のフラメンコのせいであろう、皆まだ眠そうな顔をしている。
疲れて先に寝てしまった私だけが一人さわやかな気分で朝を迎えていた。
タクシーはSON VIDA(ソンヴィダ)シェラトンへ。


このホテルは大変素晴らしく、ヨーロッパのハネムーナーに一番人気だという。
私の部屋からはプールやゴルフコースが見渡せ、たった一泊それも一人で泊まるには本当に惜しいが、経費で来させていただいている身分なのだから至仕方ない。
それよりも何よりも、リャドを待たせてしまってはいけないと、遅い朝食もそこそこに私たちは再びホテルからタクシーをとばし、やっと彼の家に辿り着いたのだった。

大勢で押しかけた私たちに彼は少しも嫌な顔を見せず、一人一人と丁寧にあいさつを交わしてくれた。
出発前にさんざん見ていた彼の俳優ばりのポートレイトや、「完全芸術家」という宣伝文句からイメージしていた、神経質で気難しい彼の印象は私の中ですでに崩れつつあった。

彼は早速この15世紀からある建物の中を案内してくれた。
ひとつのアトリエを改装中とかで、工事の職人さんたち数名がトンカチトンカチやっている。
こうしてたびたび改装していると、壊した壁から昔の窓が出て来たりすることがよくあるのだという。
4世紀もの永い間に何度も何度も改装されて、そして今こうしてまだ人が住んでいるというこの家、日本ならば国宝扱いで観光名所になるところであろう。
実際、タペストリーの裏が隠し扉のようになっていたり、真鍮のようにみえるが実は木製というシャンデリアがあったり、そしていたる所に置かれ飾られている彼の作品をとってみても、この家自体がもう美術館なのだ。
ただ他の美術館と違うのは、作品が、気味が悪い程に生き生きと見えてくることである。
これに比べると近代的建物の中に美しく展示された作品などは借りてきた猫に等しい。
ここにある絵たちは本当に威張っている。
絵の方が、珍入者である私たちを観察しているのだ。

彼が素晴らしい提案をしてくれた。
これから、私たちに絵を描くところを見せてくれるという。
予想もしなかった申し出に全員興奮を抑え切れない。
階下のアトリエへ戻ると、彼のアシスタントが用意してくれたのであろう、新しい絵具がすでにパレットの上に絞ってある。
モデルは、彼の作品のシッピング全般を担当し、今回私たちのスペイン滞在中のガイド役を務めてくれているマリア・ホセだ。


J.トレンツ・リャド「ジヴェルニーのばら」
J.トレンツ・リャド「ジヴェルニーのばら」

玄関で最初に聞いたあの音楽が再び流れ始めた。
私たちはかたずをのんで、リャドの一挙一動を見つめていた。
彼は、普通におしゃべりしてていいよと云ってくれるのだが、とてもそんな雰囲気ではない。
ほんの少しの加筆で画面はあっと驚く程の変化を見せる。
まるで魔法を見ている様で、おしゃべりどころか、そこから目を離そうにも離れないのだ。
この驚きと興奮と感動はどう書けばよいのか。
確かに目の前で、彼の手で、描いているのだが、何かそれだけではないプラスαの力を感じずにはいられない。
きっとこういうのを人は“神業”と呼ぶのだろう。

真っ白だったキャンバスの上に暗闇が塗られ、そこから次第に顔が浮かび上がってきた。
その顔が少女から女性になり、瞳が光りを放ち口元に微笑みが生まれ、表情が輝き始めた。
気がついたら2時間が経過している。

休憩を兼ねて食事に出ることになった。
古い街並みをぬけて海岸近くのレストランに彼は案内してくれた。
マジョルカと行ってもさすがに2月は寒い。
彼の作品のように花が咲き乱れる光景を目にすることはできなかったが、海岸線に並ぶパームツリーは、これからやってくるパラダイスの季節の賑わいを彷彿とさせている。

ひとしきり料理とおしゃべりを楽しんでいるうちに、もう陽が傾き始めた。
一足先に帰った彼を追いかけて私たちは再びアトリエへ戻った。

作品は仕上げの段階に入っていた。
先程までの大胆さとはうってかわって、今度は非常に慎重に繊細に筆を加えていく。
肌の柔らかで弾力のある感じとか、髪の毛が額にかかる感じなど、もっともっとキャンバスの中の彼女に息を吹き込む作業を、彼は丹念に続けていく。



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このページは1990年4月8日にガレリア・プロバから発行された「La Gazzetta vol.4」の内容を掲載したものです。


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