GALLERIA PROVA

ホアキン・トレンツ・リャドとの
出逢いから別れまで

『リャドとの邂逅と日本デビュー』

1989年スペインに凄い作家がいるという情報がもたらされました。
百貨店で絵画展が開催されるのは日本だけだと思っていたら、スペイン最大のコルテイングレスという百貨店で大々的に開催された絵画展が大好評で期間を延長するほどだったとのこと。

早速その個展の情報や会場のビデオを取り寄せたら、凄いの何の日本の会場に比べて数倍の経費を掛けた設営がなされていました。
しかも会場には国を代表する有名政財界の重鎮達が招かれています。

何も知らないで階下にチキンを買いに来ていたマダムが、買い物カゴから鶏の足が出たままの状態で原画を買って行ったとか…
色々なエピソードが聞こえてきました。

結果4週間の予定が8週間に延長され原画のほとんどが売れてしまったということでした。
しかも驚くべきことに、この企画は画家自身が社長のところに直接持ち込んだものだというではありませんか!

たまたまその20年も前にスペインのグラナダ大学に行っていた(と言っても本当は落ちこぼれで、仕方なく空手を教えていただけですが(笑))頃のおぼつかないスペイン語で電話を掛け、地中海のマジョルカ島に会いにいきました。

ホアキン・トレンツ・リャドのアトリエ 会えたのは資料を見た2月後でした。
その時、アジアの片隅から突然訪れた日本人に驚きながら、彼は個展用に揃っていた100点ほどの作品を直接自分で見せてくれました。
そのときの感動は忘れられません。
途中から涙が出てくるほど感動した私は、全てを投げうってでも貴方を日本で紹介したい、作品を扱いたいと懇願しました。
多分そのときの私の異常な興奮振りを見てか、リャドは快くチャンスをくれると約束してくれました。

ご存知の方も多いと思いますが リャドの作品の特徴はソローリャやサージャントのように、肖像画と風景画の両方を全く違うタッチで描いていることです。
当時スペインやヨーロッパの上流階級の間では天才的な肖像画家がいると知れ渡っていたようですが、所詮狭い世界のこと。

ちなみに彼が肖像画を描いた人は、デンマーク王子、モナコのキャロライン王女、スエーデン女王、スペイン国王夫妻、ほかルイ・アームストロング、フーリオイグレシアなどがいます。
デビ夫人も真っ赤なドレスで描いてもらっています。

ホアキン・トレンツ・リャドの机 私は、貴方はそういう世界で終わりたいのか、或いは私が今から提案する世界最高水準のシルクスクリーン版画で世界にその信を問うべきなのか、さあどっちだ?
と大上段に構えた質問を浴びせました。
彼の答えはすぐに帰ってきました、答えは後者です。

そのまま日本に帰って手はずを整えた上、原画を3点ロスアンジェルスの当時最高といわれた版画工房に入れました。

さあ、大きな賭けの始まりです。
もしリャドがプルーフを見て気に食わないといったらどうしよう・・・・・・・・・・・・・・・・・・

不安はすぐに拭い去られました。
『面白い、版画で日本で思いっきりプロモーションしてみろ』との反応です!

それからはTV 局に持ち込んでマジョルカ島を紹介するふりをしながら、実はトレンツ・リャドを紹介する番組を仕掛けました。
幸いにも私と同じようにこの作家に惚れて話しに乗ってくださったのが、関西TV の上沼さん(淡路島出身の漫才師海原万里さんのご主人)。
不思議なことに、この先ずーっと後、淡路島の洲本市にリャド没後アルファビア美術館を作ったときコミティーに名を連ねてくださったのがその超有名な奥様でした。

ホアキン・トレンツ・リャド作「黄金の睡蓮」の原画 このTV 番組が放映された時に《明日は京都、明後日は名古屋、その後2日間東京》という4日間だけの個展の案内で会場は炎上、ホテルのパーキングはあふれてクレームが出るほどでした。

それぞれの会場で3時間ほどのお披露目展示会で原画、版画が飛ぶように売れて各会場で売上1億円というとんでもないデビューです。

名古屋のヒルトンホテルの二つの大広間の内もうひとつは、あのアラン・ドロンさんの香水の発表会かなんかでしたが、ドロンの周りよりもリャドの方が圧倒的に人が集まって感動の嵐を巻き起こしたものです。

全く、後にも先にもこんなめちゃくちゃなデビューを飾った画家はいないんじゃないでしょうか?

少々絵が上手いくらいでこんなに人は感動しないものです。
私がトレンツ・リャドこそ20世紀最後の天才画家だと今でも信じている所以です。