GALLERIA PROVA

社長・鈴木洋樹が語る
PROVAの生い立ちと今日までの歩み

世間に認められるまで
その頃、たった一人の作家だけで画廊経営を続けることは難しいと忠告してくださったのが、山本容子さんを世に出されたガレリア・グラフィカの栗田社長だったことが懐かしく思い出されます。

その言葉通り、1984年2月までの丸3年間、ほとんど日本中の画廊や百貨店の美術部にヒロ・ヤマガタの作品は認められることなく、借金は雪だるま状態に膨らみました。

更に悪いことに、82年に生まれた長女が先天性の難病で、月の半分以上入院という中で、「こんなに人々に夢を与えてくれ、幸せにしてくれるアーティストが世の中で認められないはずがない!画壇にも賞にも無縁だけれど、きっと誰かがわかってくれる!」と、たったそれだけの思いで突っ走っていました。

まさに娘は危篤、会社は破産状態の中、最後の最後の賭けで、84年に都内のデパートで行ったヤマガタ・ヒロミチ展が大成功。

バブル景気の波にも乗り、あれよあれよという間にヤマガタさんはアート界とマスコミの寵児になりました。

それがいけなかったのでしょう、命がけでプロモーションしてきたガレリア・プロバから彼が離れるようになるまで数年とかかりませんでした。

チャリティー活動への専念
娘はその個展成功と共に少し持ち直したものの、数ヶ月後に他界しました。

このことをきっかけに、私自身とガレリア・プロバは東南アジアを中心に病院、診療所を寄贈することに全力を注ぐようになりました。

お陰で株も不動産も手にすることがありませんでしたが、逆にバブル崩壊後の影響を最小限にくい止めることができました。

ジェニファー・マークス「ジャクメルモーニング」
作家を生むインキュベーターへ
その後、丁紹光、ディズニー・セル画、アイヴァンド・アール、リロイ・ニーマン、マーク・キング、ジェニファー・マークス…
と次々に偉大な作家が生まれ続けました。

私自身もガレリア・プロバを単なる画廊という位置付けから、作家の卵を孵すインキュベーター(孵化器)、そしてプロモートして版画を作り日本に広める出版社になると決心しました。

順調にアーティストが増えていった中で、初めてアーティスト側からプロバで扱って欲しいと申し出てくれたのが笹倉鉄平さんです。

イラストレーターとして人気の高かった彼が、自らの世界をクリエイトするアーティストとして新たにデビューするにあたり、弊社を選んでくれたのです。

二人でああしよう、こうしようと工夫を重ね、ようやく誰にも愛される、幸せを運ぶハート・ウォーミング・アートが完成しました。

笹倉鉄平「カダケス」 今は独立されてご自分の会社から出版しておられますが、彼もプロバから巣立ったスーパーアーティストの一人です。

そしてトレンツ・リャド
まさに前世紀末を風のように駆け抜けていった天才アーティストでした。
地中海の真珠と呼ばれるマジョルカ島に住む彼とは、4年間に20数回会い、3度の来日展を開催することができました。
あまりの早世に今も数多くのファンに惜しまれています。

エッセイスト、農場主、グルメ・評論家として多彩な顔を持つ玉村豊男さんは、私にとって憧れの人でした。
ファンレターを出し、念願かなって伺った彼の家にあったトマトとキュウリとナスの絵を強引に版画にさせてもらったのを機会に、画家・玉村豊男さんが誕生したのです。

そして、これからプロモートしたいアーティストは…

絵筆一本で亡命したハンガリーから呼び戻され国民的英雄となった、アントン・モルナー
トレンツ・リャドの意思を確かに受け継いだ弟子、アンヘレス・セレセダ。
現代雲南派を代表する女流作家、ジョウ・リン。
人気小説「ハリー・ポッター」の日本語訳の表紙絵や挿絵を手掛けたダン・シュレシンジャー
そして、昨今デザイナーから画家へ転身した、ジュンペイ。
まだまだ、たくさんのアーティストが誕生することでしょう。


顧みれば、本当に色々なことがありました。
決して決して順風満帆ではなかったのですが、素晴らしいアートを楽しむことのできる幸せをお客様と共に感じられるのが私の最大の喜びです。
これからのPROVAにも大いにご期待ください!

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